NPO法人秋田スポーツPLUS~こどもたちの毎日にスポーツをプラス!~

中学からのサッカーの進路どうする?秋田の選手の「県外チャレンジのリアル」

ASP-Newsvol2

皆さんは中学からのサッカー、どうしますか?

「将来プロサッカー選手になりたい」サッカー少年の誰もが答えるこの夢を、聞かれたらただ瞬発的に答えるただの小学生の絵空事で終えるのか、本気で目指す到達すべき目標として捉えるのかで進路は変わってきます。

その意味で、中学生になるこのタイミングがある意味、その思考の分かれ道になるかもしれません。進路を県内とした時に、現在の選択肢は恐ろしく限られたものになります。

今回はサッカー少年達の選択肢と可能性を広げる為の情報発信を目的として、この春、県外に旅立つ2人のASPーACADEMY生のこれまでを取り上げ、サッカーを始めた経緯から県外セレクション合格までの舞台裏を保護者様情報提供頂きました。

県外でも県内でもいい。おそらくベストはなく、ベターを探る作業になります。ただ、十分な情報と選択肢の中から納得できる進路決定をすることでその後の3年間の向き合い方は変わるはず。県内については誰もがある程度等しく情報を得る事が出来ると思うので、この県外でのプレーが決定するまでの過程を是非知って頂きたいと思います。

牧野澪音 飯島南FC→鹿島アントラーズつくばJr.ユース

牧レオのアカデミーセレクションへの取り組みは説明会の度に事例として取り上げている。

アカデミーではリフティングを課題の1つとして行っており、目標に対しての取り組み方、取り組みの量や姿勢を計る上で重要なテストとして今も継続している。牧レオの事例では5回6回からスタートした1日目からリフティング回数を全てノートに記録し、セレクション当日を迎える頃には累計で10万回を超え、一番多い日には1日で合計9000回を記していた。

お母さんが話されていたようにキッズ時代は非常におとなしく話し声を聞いたことがないくらい。ぷっくらほっぺの少し大きめの男の子といった感じ。

それが今やベストイレブン、ナショナルトレセン選出、全国大会にも出場し県を代表するGKとして春から鹿島アントラーズジュニアユースの一員に。一体誰がこの姿を想像出来ただろうか。

アカデミーではGKトレーニングを行わない為、GKとしてのビルドアップスキルを徹底して身に付けるという目標設定の下、他のアカデミー生同様にフィールドトレーニングを行ってきた。その為「GKなのに結構スキルもある」ではなく、フィールドプレーヤーとして十分なレベルの選手がGKを務めているという状態。

GKとしてのレベルアップを目指し関西のGKキャンプへ参加したり出来る限りの事をしてキチンと積み上げも行い、様々な蓄積の上に今がある。現在アカデミーでは紅白戦においても全てフィールドのみとし、秋田とは異なるハイレベルな環境下においてもビルドアップの能力がストロングポイントとなる様にジュニアユースに向けた準備を行っている。

お母さんへインタビュー!

幼稚園年長の頃「体力をつけるために何か運動をさせたい」「サッカーならとりあえず走れれば出来るかな」スクールに入りサッカーを始めたのはそんな理由でした。

内弁慶で大人しく、繊細な子でサッカーでも自分からボールに向かって行くようなことは全く無く、ゲーム中も後ろの方でスキップしていたり、虫を追いかけたりとサッカー大好きと言うわけではなかったと思います。

加藤コーチもスクール時代に澪音の声は聞いたことがないんじゃないかなと思います(笑)そんな子でしたが2年生の時にスクールで知り合った今のチームメイトに誘われてU8の試合に出る機会がありました。初めての試合がとても楽しかったようでその日の夜、あの大人しい子が寝ないだけ喋りまくり、自らスポ少に入る!と初めてサッカーの楽しさを覚えた瞬間だった気がします。

チームの環境もあり3年生から6年生の試合のメンバーに入りました。当時はただゴール前に立っているだけと言う状態でしたが、沢山の実戦経験を積ませてもらえたのがとても大きな経験だったと思います。

同時にサッカー修学旅行で浦和レッズ、コンサドーレ札幌、セレッソ大阪とJ1クラブの凄い規模の試合、施設や練習環境を見せて頂く中で少しずつこうした環境でサッカーが出来たらいいなと思い始め、アカデミーセレクションをキッカケに本格的に県外への進路を考え始めました。

課題のひとつがリフティング200回でしたが、当時は5回も出来ない。ハッキリと数字で結果の分かるリフティングはチームメイトとの競争も激しく、親としてもこの時初めて「こんなに負けず嫌いな子なんだ」と気づかされました。説明会からセレクションまでの2~3ヶ月、澪音の泣いて発狂する声が毎日響いていたと思います。そんな頑張りもありセレクションでは2800回超の結果を出すことが出来「やればできる!」と、とても大きな自信になったようです。

自信がついてくると声も出せるようになり、プレーも堂々としていき、チームでもキャプテンをやったり学校の行事でもリーダーを進んでやるようになり、まるで別人のように変わりました。

5年生の秋頃には本格的に県外のどのチームを受けるのか話し合うことが増えました。J1クラブのジュニアユースに絞って考えていた中で、飯南出身で鹿島アントラーズユースで活躍している先輩のおかげで練習に参加させてもらえる事になりました。

行ったのが2月だったのですが、雪はなく芝生のピッチでGKコーチの指導を受け、練習後にはクラブハウスでシャワーを浴びてから帰る。そんな経験をさせてもらいました。2コ3コ上の先輩達の練習に混ぜてもらいかなり緊張したまま終わりましたが、出てきた澪音は目をキラキラさせて「楽しかった!」「絶対ここに入る!」と気持ちを固めたようでした。

そこからは自分の強みである足下の技術やパントキックの精度を高めるためにコロナで学校やスポ少の練習がお休みになっている間も毎日グラウンドに行ってひたすら練習を続けました。

また、GKはどうしても身長が求められます。県外への進路を考え始めた頃から体を大きくすることにも力を入れてきました。毎日もうお腹いっぱいと泣きながら1時間も2時間もかけて食べていた大盛りごはんも今ではペロッと食べられるようになりました。

小さい頃から目を引くような上手な選手ではなかったですが、努力を続ける力は誰にも負けていないと思います。その結果、内定を頂くことが出来、またひとつ「やればできる!」と自信に繋がったようです。11月に参加したジュニアユースの練習はとにかく全てのスピードが速く弱いパスは簡単にカットされるしパスを受けてから考える時間は1秒もないそんな世界でしたが、その中でまずは「スタメンを取ること」「アカデミートレセンに選ばれること」「ユース昇格」を目標にさらにその先の大きな目標に向かって引き続き努力していきます。

スクール時代、習い事として3年生までやってサッカーは終わりかなと考えていたので、今、サッカーの為に引っ越すことになるとは夢にも思わなかったです。

スクールがなければスポ少に入ることもなかったですし、アカデミーがなければ県外への進路を考えることもなかったと思います。何よりもアカデミーセレクションが人としても変われるキッカケにになりました。可能性を広げてくれたアカデミーにとても感謝しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました